「マクドナルド」のV字回復!
林:竹村さん。「マクドナルドのV字回復について、どう思いますか?」という質問です。
竹村:調子がいいという記事は、1年ぐらい前から見かけるようになりました。
林:僕は完全に信用を失ったと思っていました。
日本における「マクドナルド」の歴史
竹村:世間的にはフランチャイズの失敗例として認知されていましたが、鶏肉の問題などが取りざたされる以前からフランチャイズ化していたので、そう単純にまとめられるのは大変遺憾でした。現在は、完全に信用を失ったあとの再出発なのでV字回復は当たり前ですが、それが1年半~2年と回復基調になって、いよいよ本格的に復活ということになり、記事などで評判になっています。
日経ビジネスでも「『マクドナルド』のV字回復は本物か?」という記事が長期連載されています。大変わかりやすく、説得力のある内容なので、メルマガでも取り上げました。個人的には、「マクドナルド」のV字回復にそれほど興味はありません。ただ、「マクドナルド」という近代日本の成長期に上陸したフランチャイズの、今に至るまでの試行錯誤は非常に興味深いものがあります。
まず、「マクドナルド」をアメリカから日本に持ち込んだのは藤田さんという方ですが、その藤田さんはアメリカ側の助言を無視して銀座の三越に1号店を出店しました。車社会のアメリカでは、ロードサイドに開業するのが定石でした。同じ時期に「三菱商事」が持ち込んだ「ケンタッキー」は、アメリカ側の助言に従ってロードサイドに出店しました。成功したのは「マクドナルド」のほうで、「ケンタッキー」も3店舗目あたりでロードサイド展開を取り止めました。その後、10年の間に日本も車社会になり、結局はロードサイドに大型店を出すようになります。そうすると、現在の「武田塾」と同じく、出店するエリアが不足し始めました。なので次は、サテライト店という小さな店舗で展開していきます。それが契機となり、一気に2000店舗ほど増えました。
日経ビジネスの記事、「『藤田時代』から5度目のビジネスモデルの転換」でいうところの3度目までがこのような経緯です。4度目で原田さんという方が「マクドナルド」をフランチャイズ化し、全体の7~8割をフランチャイズにしました。ここから快進撃が始まるのですが、その人気はご存知の通り地に落ちます。この続きは次回でご説明します。