林社長ってどんな人?
林:今回の質問は「林さんというのはどんな人?」という質問です。
竹村:今回は林さんに自己紹介していただきます。
完璧な体制で臨んだ大学受験
林:では、簡単に自己紹介させていただきます。1984年生まれで千葉県出身。高偏差値の船橋高校に進みました。船橋高校は平均して、学年では早稲田大学が現浪合わせて100人、東京大学が5~10人合格しています。東京大学が5~10人ということは、早めに勉強しなければ東京大学は狙えないと思い、高校一年生から週三回「東進ハイスクール」に通い始めました。 部活動も毎日五時に帰宅できて、高校二年生の終わりで引退のできる合唱部に入部しました。進学校、週三回の予備校通い、合唱部。 このような完璧な体制で臨んだにも関わらず、現役受験は見事に全滅しまして、浪人して四年目の「東進ハイスクール」生活に入りました。 何故、同じ予備校に四年間も通ったかというと、担任の先生がとても親切だったからです。その後、先生の助言もありつつ、秋までたくさんの授業を受けたのですが、見事に偏差値50を叩き出しました。芳しくない結果に危機感を持ち、最後の三ヶ月を参考書で勉強したところ、急に成績が伸びました。 それでも東京大学の合格ラインには届かず、早稲田大学、慶応大学も落ちて、MARCHぐらいの学習院に進みました。一浪でMARCHなので、最悪の事態は逃れたのですが、進学校且つ高校一年生から予備校に通っていたわりには、いまいちな結果でした。 なので、原因究明のために「東進ハイスクール」で働くことにしました。そうしたら、担任の先生と「東進ハイスクール」の永瀬社長の2ショット写真が壁に飾られているわけです。担任の先生に質問したところ、営業成績が全国ナンバー1だからだと仰いました。そこで始めて、自分への親身なアドヴァイスは営業だったと気がつきました。実際、そういう仕組みになっているのでしょうか?
竹村:なっています。
「武田塾」誕生秘話。
林:なので、これまでの授業に意味はなかった、参考書で事足りたと思い、大学一年生で、塾に時間を搾取される方々を救うために会社をつくりました。 初めは塾をつくりたかったのですが、お金が足りなかったので、一年間は家庭教師の派遣でお金を貯めました。 大学二年生のときに、武田というハンドルネームでネット上の相談に乗っていたら流行り、「武田塾」ができました。 「武田塾」ができて一年目、一生懸命指導した結果、早稲田大学、慶応大学、医学部に合格する生徒が現れ、生徒が50~100人と増え、大学を卒業する頃には温泉・プール・ジムつきのタワーマンションに住むことができました。 中々、優雅な生活をしていましたが、なにとなく「武田塾」に対して、生徒数を増やしていく、年商を5億、10億、100億にしていくイメージが湧かず、色んな事業に乗り出しました。
例えば、障碍を持った方の就職を支援する福祉施設を立ち上げたり、中国の病院を買収してみたり、カンボジアでスパをつくってみたりしました。 多額をつぎ込んで「男のエステ・ダンディハウス」に通って痩せないという、懲りないことをやってしまって、塾と同じようにエステもつくりました。 そして三年前、「武田塾」を直営で二軒、福祉施設も二軒ぐらい、その他もろもろに着手しているとき、転機が訪れました。
竹村:次回は、転機のお話をお願いします。