天童社長にとってベンチャー・リンクとは!

:天童社長、ベンチャー・リンク時代には大変なことも色々とあったようですが、天童社長にとってベンチャー・リンクとはどんな会社ですか?

天童:基本的に大好きな会社でしたし、今も好きですね。ベンチャー・リンクで一緒に働いた仲間とは辞めた後も会っていて、その当時の話をしているとやはり皆がこの会社を好きだったんだなということを強く感じます。私自身、ベンチャー・リンクで色々なことを学ばせてもらって、この時の経験がなければ今のような仕事はできていませんし、きっと竹村さんをはじめ、そう思っている方が多いはずです。働いていた人達は誰もがこの会社を好きなのではないでしょうか。

:ベンチャー・リンク出身の人は仕事ができて優秀な方ばかりですし、皆さんが色々なところで「ベンチャー・リンクの時はこうだった」という話をされていて、それを聞いていると本当にすごい会社だったのだろうなという印象があります。

天童:働いていて本当に楽しくて、その思いは色褪せずに今も残っています。ベンチャー・リンクにいたのは20代から30代前半の頃でしたが、今仕事で大変な時があっても、その頃よりは楽だろうと思うと頑張れます。

:逆にそれだけ大変だったということでもありますね。

天童:はい、でも本当に面白かったです。

ベンチャー・リンクで働く楽しさ、面白さはどこから来ていた?

:その面白いという気持ちは、「世の中にないサービスを一気に広めていこう」というやりがいから来るものだったのでしょうか?

天童:竹村さんや僕は猪突猛進タイプではなくて、少し斜めに、全体を見ながら動く方でした。

:では「ベンチャー・リンク命!」のような感じではなく、少し皆とは距離を置きながらビジネスに取り組まれていたのですか?

天童:のめりこみ過ぎないように自制はしていましたが、距離を置いていたということはなく、一所懸命にやっていましたよ。非常に面白い会社でしたし、今もそれぞれの場所で皆さんが頑張っています。

:色々な分野で活躍されていますよね。

天童:あのような会社はなかなかないと思います。元々は第二のリクルートを目指そうという考えで、辞めた人はどんどん会社を作って雇用を創出しようという理念があり、「40歳までに独立しろ」とずっと言われていました。

:確かにリクルートに似ていますね。

天童:そういう意味では本当にとてもいい会社で、働いていて面白かったです。働いている本人が楽しんで仕事をしているかどうかは、やはり大切だと思います。

:ベンチャー・リンクがなければ世の中に広まらなかったサービスや、もっと世の中が不便だったというようなことがありそうですね。

天童:あったと思います。雇用に関しても、ベンチャー・リンクが広げたフランチャイズの店舗のアルバイトの数を全て合わせると、クロネコヤマトより雇用を創出していると当時言われていました。色々なことがありましたが、非常に面白い、しかもインパクトのある会社だったと思います。

:それはすごいですね。ベンチャー・リンクを退社された後はどちらに行かれましたか?

天童:京都のハウスドゥという、不動産のフランチャイズです。

:昨年上場したハウスドゥですね。上場企業に入られて、その後どうなったのかを次回教えてください。