創業期は極貧!?多重債務「社」!?

林:株式会社mammaciao代表取締役の三原社長にお越しいただきました。
前回、衝撃的な数字を教えていただきました。
最初の10年で100店舗。次の5年で100店舗。
そして次の1年で100店舗。これからの1年で180店舗増えるということです。
最近の勢いも凄いですが、そんなに凄いものが最初の10年間は何でそんなに苦労されたのでしょうか?
昔のお話では、結構大変だったとお伺いしています。

三原:起業したときに社員がいなかったので妻と2人でやっていて、そこで子供が生まれてしまったのでお金がなかったので妻に母乳は止めるな!と言っていました。
粉ミルクも買えませんでした。
自分や妻の親からお米を送ってもらって、本当にちょっとしたオカズだけでずっと生きていました。
それが起業の初めの頃でした。

三原:なんだかんだで起業したばかりだと銀行はお金を貸したいから借りられるのですが、たくさん借りたら返せなくなってしまって、各銀行の支店長室に土下座して回りました。
「返せません、ごめんなさい」といういわゆるリスケをして回っていて2億円くらい借金がありました。

林:リスケ経験者だったのですね。

三原:年商が2億しかないのに2億借りていました。

林:年商と同じだけ借りていたのですね?
それは多いですね。

三原:多重債務「社」となっていました。

コインランドリーは学生が使うもの!!まさかこんなにブームになるとは

林:何でそんなに時間がかかったんですか?

三原:最初の100店舗のことですね?
そもそもコインランドリーは学生が使うものだというのが日本中のみんなの認識でした。

林:大学生の1人暮らし用!ということですね。

三原:もしくは単身の社会人の方など。そういう方向けだと、
使う側もそうだし、お店を経営する側もそうでした。
そんなものに1千万も2千万もかけられないという認識がありました。

三原:使う側も、私は家に洗濯機があるし、という認識だったと思います。
それは女性の社会進出が今ほどではなかったというところもあると思います。

林:三原さんはこういう時代が来ると10数年前から思っていたのですか?

三原:思っていなかったです。

林:やっぱり学生の1人暮らしが使うものだと思っていたんですか?

三原:主婦が使うコインランドリーを最初からやっていましたが、
それでもこんなに時代が来るとは思っていませんでした。
今ほどこんなに女性が社会に進出する、一億総活躍社会という言葉が出てくるとは夢にも思っていませんでした。
今は女性の社会進出の伸びが物凄い勢いです。

林:17年前は洗濯機も斜めドラムとかは家庭用ではありませんでした。
それでもみんな家で洗濯するということですよね。
逆に今は家の洗濯機もいい感じになってきました。
高性能でも今の方がコインランドリーが使われています。
不思議なものですね。
そのあたりについて次回教えてください。