1校舎だけのはずが、6校舎売ってしまった!?
林:武田塾の0次募集から短期間で、10校舎展開した経緯の続きを教えてください。
前回の内容としては、久保田社長がやっていた知識で結構有名な塾だったので、竹村さんが売れると言って買う人を見つけてきてたということでした。
そして、どうしたのでしょうか?
久保田:私は1校だけを閉じて、そこにいた校舎長をそのまま塾長として武田塾の町田校をつくろうと思って動いていました。
海外の校舎は置いておいて、6校舎があれよあれよという間にほしい人が出てきてしまいました。
1校だけだと言ってる間もなく出てきてしまったのが、その時の流れです。
林:売ってしまって、どうしたんですか?
久保田:結論からすると、6校舎をどうしても欲しいという方が出てきたので、名古屋の方のもうちょっと大きな塾に、そのまま同じブランド名で人もそのままで、まったく同じことをやると約束して、塾を売却しました。
いい塾を売ってまで、武田塾に乗り換えた!!
林:思わぬ展開ですね。
買いたいと思う人がすぐ見つかるぐらい、いい塾だったのに、そんないい塾を売ってまで、僕の塾に乗り換えてくれたのが驚きました。
久保田:時の流れというのもあります。
塾を売るという感覚は全くなかったし、1校舎だけ閉じて、そこを武田塾にするという考えでしたが、塾が全部売れてしまいました。
そうすると、信じられないくらいのお金が一時入ってきました。
武田塾の草創期に、いい出店場所を選んだ!!
林:引き継がれた方もすごく教育に熱い方で、良くしてくれそうな感じがありました。
久保田:引き継がれた方に学ぶものも実は本当に多くて、そこの会社から学んだ方法で今、武田塾を運営している経緯があるくらい、本当に素晴らしい会社だったので、”ならば!!”ということで英断して、売却しました。
林:その資金をもとに、武田塾を何校舎くらい作ったんですか?
久保田:その資金をもとに、今から考えれば南米にでも行けばよかったんですけど。
竹村さんが”何校舎つくってくれるんですか?”と熱くなって、”じゃあ、やりましょう”ということで、ちょうどFCの草創期だったので、この場所だったらよさそうというところを選んだというのが、1番最初の話です。
林:ではその資金をもとに、どこの駅を押さえたのか、次回お願いします。